れおなちずむ

素粒子物理、量子計算、機械学習、計算機科学とかの話をします

低エネルギー極限としてのSchrödinger方程式

はじめまして。 Physics Advent Calendar 2017の2日目の記事です。

おはなし

Schrödingerが(後に行列力学と併せて量子力学に統一されることになる)波動力学を定式化したのは有名ですね。
彼は電子を表す波動関数が従う方程式として、今ではSchrödinger方程式とよばれる方程式を提出して、水素原子の性質を定量的に説明することに成功しました:

$$ i\frac{\partial}{\partial t} \psi = \left[ - \frac{1}{2m}\nabla^{2} + V \right] \psi $$

Schrödinger方程式自体はLorentz変換の下で不変ではないので非相対論的な方程式なわけですけど、Schrödingerはこの時点で、後にKlein-Gordon方程式と呼ばれることになる相対論的な方程式も導出していました*1
でも、この世界は厳密には相対論的なので、実際は相対論的な方程式の方が正確に物理を記述するはずですね。

$$ (\partial_\mu \partial^\mu + m^{2}) \phi = 0 $$

じゃあどうしてSchrödingerはこのKlein-Gordon方程式を論文として提出しなかったのかというと、それはこのKlein-Gordon方程式では水素原子の性質を説明できなかったからです。
というのもこれは後々にわかったことですが、Klein-Gordon方程式はスピン0の粒子が従うべき相対論的方程式なので、スピン1/2の粒子である電子の運動をKlein-Gordon方程式で説明することはできないわけです。また、「古典的」なKlein-Gordon方程式には、波動関数の確率解釈に困難をきたすという問題もあります。
そういったいくつかの理由でSchrödingerは一つ妥協をして、電子の従うべき現象論的な方程式としてのSchrödinger方程式を提出したのでしょう。
Schrödinger方程式を使えば実際に電子の運動をある程度説明できるわけなので、まあ論文として提出するならこっちよね。
電子の従う相対論的な方程式は、いまではDirac方程式と呼ばれています。Diracはこれを用いることで、電子の現象論的な相互作用として知られていたスピン磁気相互作用項や水素原子のエネルギースペクトルに現れる微細構造を、相対論補正として具体的に導出することに成功したのです。

$$ (i\gamma^\mu \partial_\mu - m) \Psi = 0 $$

ところで、スピン0の粒子の運動はKlein-Gordon方程式で、スピン1/2の粒子の運動はDirac方程式で説明できるといいました。スピンという概念は量子力学が発展していく過程で見つかった、素粒子の持つ奇妙な自由度ですが、より現代的な観点ではLorentz群の表現として分類されます。
つまり、スピンの概念は量子論よりはむしろ相対論に特有なものなのです。
実際、非相対論的な文脈ではスピン自由度は外から現象論的に与える他ありません。Schrödinger方程式から電子のスピン磁気相互作用項が導出できないのもある意味当然と言えます。
しかしながら、電子の「ある種の側面」を説明できるのは確かなので、非相対論的な近似の下でKlein-Gordon方程式およびDirac方程式はSchrödinger方程式に一致して、この過程でスピンに関する情報は潰れてしまうと期待できます。
ということで、一見方程式の形として似ても似つかないKlein-Gordon方程式とDirac方程式が、非相対論近似の下でいずれもSchrödinger方程式に一致することを示します。
なお、非相対論近似は式を光速の逆数$\frac{1}{c}$のオーダーで展開をして、高次の項を無視することで行われるので、以降、1と置いていた光速$c$は復活させておきます。

導出

Klein-Gordon方程式は

$$ \left[ \frac{1}{c^{2}}\frac{\partial^{2}}{\partial t^{2}} - \nabla^{2} + m^{2}c^{2} \right] \phi = 0 $$

です。波動関数$\phi$に掛かっている作用素アインシュタインの関係式$\left(\frac{E}{c}\right)^{2} = \mathbf{p}^{2} + m^{2}c^{2}$を量子化したものなので、Schrödinger方程式とは違って、そのハミルトニアンには静止エネルギー$mc^{2}$が含まれてます。そこでまず波動関数から静止エネルギーの項を分離します。すなわち$\phi = e^{-imc^{2}t}\psi$とおき、$\psi$に関する方程式を得ます。

$$ \left[\frac{1}{c^{2}}\frac{\partial^{2}}{\partial t^{2}} -2im\frac{\partial}{\partial t} - \nabla^{2} \right] \psi = 0 $$

すなわち、

$$ \left( 1 + \frac{1}{2mc^{2}}i\frac{\partial}{\partial t} \right) i\frac{\partial}{\partial t} \psi = - \frac{1}{2m}\nabla^{2} \psi $$

です。左辺第2項は$O(\frac{1}{c^{2}})$なので非相対論近似の下では無視できます。これは電子の静止エネルギー$mc^{2}$と比較して運動エネルギー$E=i\frac{\partial}{\partial t}$が小さいという仮定に相当します。
これで、Klein-Gordon方程式が非相対論近似の下でポテンシャル$V=0$のSchrödinger方程式に一致することが確認できました。


今度はDirac方程式ですが、Klein-Gordon方程式よりも少しややこしくなります。
まずはDirac方程式を次の形に書き換えます。

$$ i\frac{\partial}{\partial t} \Psi = \left[ -ic\mathbf{\alpha} \cdot \nabla + mc^{2}\beta \right] \Psi \equiv H \Psi $$

右辺のハミルトニアン$H$をディラックハミルトニアンと呼びます。ここでは

$$ \left\{ \begin{array}{l} \displaystyle \alpha^{i} \equiv \gamma^{0} \gamma^{i} = \left(\begin{array}{cc} 0 & \sigma^{i} \\ \sigma^{i} & 0 \end{array}\right)\\ \displaystyle \beta \equiv \gamma^{0} = \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{array}\right) \end{array} \right. $$

という表現を採用します。Dirac場を2つのDiracピノル場$\psi,\chi$を用いて

$$ \Psi = e^{-imc^{2} t}\left( \begin{array}{l} \displaystyle \psi \\ \displaystyle \chi \end{array} \right) $$

と置き直すと、次の連立方程式を得ます。

$$ \left\{ \begin{array}{l} \displaystyle i\frac{\partial}{\partial t} \psi = - i c \mathbf{\sigma} \cdot \nabla \chi \\ \displaystyle i\frac{\partial}{\partial t} \chi = - i c \mathbf{\sigma} \cdot \nabla \psi - 2mc^{2} \chi \end{array} \right. $$

ここで、$\chi$のエネルギー固有値を$E$とすると、

$$ \chi = \frac{-ic}{E+2mc^{2}} \mathbf{\sigma} \cdot \nabla \psi $$

となるので、これを第1式に代入すると$\psi$だけの方程式が得られます。

$$ i\frac{\partial}{\partial t} \psi = - \frac{c^{2}}{E+2mc^{2}} (\mathbf{\sigma} \cdot \nabla)^{2} \psi $$

ここで、パウリ行列の性質$\sigma^{i} \sigma^{j} = \delta^{ij} + i \sigma^{k} \epsilon^{ijk}$に注目すると、$(\mathbf{\sigma} \cdot \nabla)^{2} \psi = \nabla^{2} \psi$です。
また、非相対論近似($E \ll mc^{2}$)の下では、

$$ \frac{c^{2}}{E+2mc^{2}} = \frac{1}{2m}\frac{1}{1+\frac{E}{2mc^{2}}} = \frac{1}{2m} \left(1+O\left(\frac{1}{c^{2}}\right)\right) \approx \frac{1}{2m} $$

なので、結局、Dirac方程式についても非相対論近似の下でポテンシャル$V=0$のSchrödinger方程式に一致することが確認できました。
ちなみに、$\chi$の式をみるとそのオーダーは$\displaystyle \frac{1}{c}\psi$であることがわかります。つまり、非相対論近似の下では$\chi$は無視できるということです。

まとめ

今回は相互作用を考えなかったけど、ゲージ原理に基づいてDirac方程式に古典電磁場との相互作用を導入すると、具体的に電磁場による相対論的量子補正が計算でき、実験と比較できるようになります。スピン磁気相互作用項も自然に出てきます。
本当は電磁場も量子化されるべきなので、このような計算で得られる意味のある補正は、電磁場の量子効果を度外視していることに注意しておく必要がありますが、まあ相対論的な量子力学の範囲ではせいぜい$O\left(\frac{1}{c^{2}}\right)$のオーダーまでしか計算しないのでいいのです。
ちなみに、電子は量子化するけど光は古典的に扱うみたいな折衷的手法のことを半古典的手法とよびます。電磁場を量子化するのは結構骨が折れるのです。


より正確な予測をしたい場合には、QED(量子電磁力学)と呼ばれる理論を使います。この理論は少なくとも低エネルギー領域(数GeVオーダー?)においてはよく検証されていて、とんでもなく正確な予測をもたらします!まさに現時点での、人類の最高到達点と言っても過言ではないと思います。
とはいえQEDの摂動計算は大変なので、もちろん考えている系のエネルギースケールに応じた数理を記述する方程式を使うべきです。
ここで確かめたのは、一見方程式の形もスピンの値も異なるKlein-Gordon方程式とDirac方程式が、低エネルギー極限においていずれもSchrödinger方程式とconsistentになっているということです。
異なる階層を支配する理論も、きちんとその境界でなめらかにつながっているわけです。

*1:これは彼の1925年の計算ノートに記されているそうです。